最終回 乳がん術後のケア
診断後の心のケア
乳がんと診断されたとき、気持ちが揺れない人はいないと思います。手術と決まったときにも不安で気持ちが落ち着かないかもしれません。化学療法、ホルモン療法を始めるときも心配の種は尽きません。まして、再発を指摘されたときにはもっと気持ちが動揺するでしょう。
どう超えていけばよいのでしょうか?正解があるわけではありません。一般的に言われている精神的反応と多くの患者さんたちの声から、今回は上手な病気との向き合い方を考えてみます。
乳がん診断時の思い
バッドニュースを聞いた時、私たちの心は「否定→あきらめ→受け入れ→立ちあがり」と時間とともに変化していきます。まず、乳がんだといわれたとき、大部分の方が「私が乳がんのはずがない」、「何かの間違いだ」、「家族には乳がんの人は誰もいないのに私が乳がんだなんて……」、「何も悪いことはしていないのに、乳がんに罹るなんて……」と思い頭が真っ白になってしまいます。
しかし、視触診や画像、細胞診、組織診で導き出された結果は現実です。現在は組織まで確認しますので、良性病変ががんに間違えられる可能性はほとんどなく、納得せざるを得ません。
次いで、多くの方が感じるのは「なぜ私は乳がんになったのだろう」、「何が悪かったのだろう」という疑問です。
食事の摂り方が悪かったのだろうか、不規則な生活が原因で免疫力が落ちたのだろうか、仕事のストレスがいけなかったのだろうか、嫁姑の人間関係で疲弊したのが悪かっただろうかなど、乳がんに罹った原因をあれこれ考えてしまうようです。
特定の原因で乳がんが発症することはありません。日本女性は12人に1人が乳がんを経験する時代になっており、罹りやすさの違いはあっても、だれでも発症する可能性があるのです。原因を考えて悩んでみても、今からその原因を取り除いたとしてもがんが縮小するわけではありません。今後に健康的な生活を心がけることは大いに結構ですが、今の病状を改善することが何より重要です。原因探求に囚われて治療を遅らせるより、まず一歩を踏み出しましょう。
治療開始に向けて行うべきこと
上手に治療するために必要なことは、自分の病状の正しい把握と、治療を行う上で障害となる事項の確認です。漠然としたままでは不安が大きくなります。
まず、自分の乳がんの情報を整理しましょう。がんの大きさ、広がり、リンパ節や他臓器転移の有無、ホルモンの刺激を受けるタイプか、HER2(ハーツウ)という増殖因子を持っているか、活動性が高いかどうか(Ki–67、MIB1インデックスなど)などを確認し、どのような治療方針が最適かを主治医とよく相談しましょう。病状や治療方針が納得できれば不安も軽くなっていきます。
次に、その治療を受ける際に困ることや問題点をリストアップしましょう。育児、介護、仕事、お金、ペットの世話など、さまざまな問題があり、特に女性は自分でなければできないことも多いとは思いますが、病気にかかってしまったのは仕方がないことです。家族、友人、職場の方たちとよく話し合って、周りの方の協力も得て、うまく切り抜ける方法を見つけ出してください。その上で主治医と二人三脚で最善の治療を開始しましょう。
手術への向き合い方
誰でも手術を受けるのは怖いです。私の母も叔母も乳がんの手術を受けました。どれほど緊張していたかよくわかります。でも、乳がんは比較的危険の少ない手術であり、手術時間も短く、術後も翌日より自由に動くことができ、痛みも少ないのが特徴です。こわがらずに手術に臨みましょう。
ただ、乳房は外から見える臓器であり、女性にとっては美しさの象徴のようにさえ言われる臓器です。傷ができること、変形すること、なくなることは誰にとっても本当につらいことです。しかし、罹ってしまった病気は治さなければなりません。生命を守り、生きていくために何が重要かを、1度、自分の心と向き合って見つめてみてください。頑張って受け入れ、乗り越える勇気も必要だと思います。
そして手術が終わったら、自分の傷を大切にして愛してあげてください。生きるために戦った名誉の負傷だと思います。創部を見ないように生活するのではなく、入浴したら清潔に優しく洗い、保湿して、マッサージして、運動をして肌を伸ばして傷跡がきれいになるようにしていきましょう。その上で補正具や再建手術、お洋服の選び方などを上手に工夫して快適な生活を送れるようになさってください。失ったものを悩むより、そこから美しく素敵にするための努力を始めましょう。
ホルモン療法との向き合い方
ホルモン療法を開始することになったら、更年期の症状が出たらどうしよう、骨は大丈夫かしら、関節が痛くなるのかしら、太るのかしら、などの不安が湧いてくることでしょう。体験談などでもいろいろ語られているので、漠然とそんな印象をお持ちだと思います。
ホルモン剤には大きく分けて2種類あります。
①タモキシフェン:偽のエストロゲンで、隠れたがん細胞に偽物をつかませて動けなくさせる。
②アロマターゼ阻害剤:閉経後は卵巣機能が低下してエストロゲンが減少するが、アロマターゼという酵素が働いてエストロゲンをつくるので、この酵素の働きを止めてエストロゲンを下げる。
タモキシフェンは偽のエストロゲンですからエストロゲンの低下している高齢の方が服用されると肌がつやつやする、骨の密度が上がるなど若々しくなる効果があり、副作用はほとんどありません。
しかし、若い方は十分なところにさらにエストロゲン作用を加えるので、逆に卵巣の働きを抑えてしまい、更年期の症状が出る場合があります。閉経前の方にはホルモン効果を増加させるため、排卵を止める注射を併用する場合があり、この場合は急に排卵が止まることにより更年期症状が出やすくなります。
しかし、更年期症状は乳がん治療を受けなくても、自然に閉経の年齢が来ると現れ、特殊なことではありません。私も57歳ですから更年期症状がたくさんあります。上手に過ごすコツをつかむことが大切です。
自律神経のアンバランスが主な原因ですので、自律神経が安定しやすいようにします。薬に対する不安や更年期症状に対する嫌悪感が強いと症状も強くなりがちです。
ホットフラッシュがきたら、冷たくしたハンドタオルや冷却材を持ち歩いて脈打つ首の後ろや手首などをそっと冷やしてみましょう。落ち着きやすくなります。脱ぎ着しやすい服装にして、乗り物も途中で降りて休んでも大丈夫なように時間に余裕を持って出かけると、起こりにくくなります。
寝る前に緩めのお湯でゆっくり入浴してリラックスすることも有効です。心が安らぐようなお好きな香りの入浴剤を楽しむのも良いでしょう。家族や周りの方の協力はいらいらを起こさない大切な要因です。病気をしたことをきっかけに、ご家族との絆を見直せたら素敵ですね。
それでもつらいときは主治医と相談して漢方薬を使用する、休薬するなどの方法もあります。開始時から不安ばかりを膨らませるのはやめましょう。
アロマターゼ阻害剤は、関節痛や骨粗しょう症が出る場合があります。関節炎になるわけではないので安静の必要はなく、よく動かしていると痛みが出にくくなります。じっとしていて急に動かすと痛むのが特徴です。特に痛みを感じない方のほうが多く、運動で改善しますので怖がらずに服用してみましょう。
骨粗鬆しょうは医師が骨密度を測定して必要な対応をしてくれますのでこれも不安に思わず主治医とよく相談なさってください。ホルモン剤は怖いことはありません。毎日1錠ずつ気負わずに気長に服用していきましょう。
化学療法の不安
化学療法はとても大切で有効性の高い治療です。副作用も大きいので開始となると気後れするかもしれませんが、その副作用を考えても十分に意義のあるものです。髪は抜けるかもしれませんが、投与が終了すれば必ず生えてきます。治療中だけは我慢しましょう。
素敵なウィッグを使って普段はできないような髪型に挑戦したり、手作りの帽子を楽しむのも1つです。吐き気も以前と異なり、制吐剤がすっかり完備されましたので怖がる必要はありません。その場だけでなく、翌日以降の吐き気も抑えられるようになりました。
それでも空腹になると少しむかつくこともあるのでなるべくお腹を空かせないようにして、ちょっと気分が悪いと思ったら食べ物を入れたほうが落ち着くことが多いのも特徴です。つわりとよく似ています。
肌荒れ、シミにはスキンケア、口内炎には食事の工夫や粘膜保護材のうがい、はちみつ100%のあめ、味覚障害にはレモン水でのうがいなどあれこれ工夫して乗り切れます。始める前から不安に押しつぶされる必要はありません。勇気をもって始めてみましょう。歩き始めれば少しよたよたしても向こう岸へちゃんと渡れるものです。こわがって踏み出さないほうがもったいないと思います。
再発の気持ち
いつも再発は怖いと思って生活してこられたことと思います。できる限りのことをしてきても、それでも、再発してしまう場合もあるのです。がっかりされたことでしょう。でも、昔とは違います。今はたくさんの薬剤が年々開発され、武器はどんどん増えています。作用機序も種類もさまざまで、必ず効果のある薬剤があります。
また、すでに多くの治療をしてこられた方でも、すぐに別の薬品の開発が進んでおり、悪化させずに頑張って引っ張っていればまた、良くなるときが来るのです。再発の際には病巣を消そうと力む必要はありません。現状を悪化させず、症状を良くすることでよいのです。
治療のために今の時間と体力を使っているのではありません。今の生活を、今の時間を自分のために家族のために快適に長く過ごすために治療が生活の合間に入っているのです。治療が目的ではないので、自分を縛らずに上手に治療して、生活を楽しんでください。
私は毎日、乳がんの患者さん、家族と生活をしています。叔母は乳がんの多発性転移のため生涯を終えました。病気をしても自分の時間を自分らしく生きていくために治療を使うことが大切だと考えています。
診断から治療へと不安を消せるなどとは思っていません。でも、乳がんを自分の中で上手にとらえることができれば、少しでも楽に超えていけるのではないかと思い、このケアのページを書いてまいりました。お役に立てたかどうかはわかりませんが、ほんの少しでも参考になれば幸甚に存じます。
●どい・たかこ●
横浜市立大学医学部卒業、横浜市立大学医学部付属病院で研修後、済生会横浜市南部病院、独立行政法人国立病院機構横浜医療センターなどを経て、2009年よりかまくら乳がん甲状腺センターを立ち上げる。
医師として一貫して乳腺外科分野で経験を積み、女性の立場から女性のための乳がん治療および乳腺分野での治療に従事。その一方で乳がん啓蒙のためメディア出演や講演活動も数多くこなす。
かまくら・乳がん甲状腺センター長として、医師、看護師だけでなく、薬剤師、体験者コーデイネーターやリンパ浮腫ケアースタッフをチームに組み込んだ総合的な乳腺治療を目指している。