(がんの先進医療: 2021年1月発売 40号 掲載記事)

私のがん体験(膵臓がん)
膵臓がん初回手術から10年、慌てず騒がず④

高村 僚 「すい臓がんカフェ」主宰(66歳)

再々手術への道のり

2015年8月29日、妻と共に主治医T先生の診察を受け、先生は「再々発だと思いますが、もう手術は出来ませんのでアブラキサン+ゲムシタビンの抗がん剤治療をお勧めします」。

高村家「少し考えさせて下さい」と。

9月8日、ずっとお世話になっている同じ大学病院の消化器外科S先生の診察を受け、先生が推薦する3名の著名な肝胆膵外科の先生をご紹介頂き、その中からパンキャンジャパンのセミナーで存じ上げていたK先生にセカンドオピニオンをお願いしました。

10月6日にK先生の初診でしたが、大変混んでおりゆっくり話す雰囲気ではなくCTの予約と次回診察日10月20日がブッキングされました。当日妻と共に診察室に入ると、K先生の他5名の若い医師が立っておられたのにはびっくり。K先生は「再手術はやろうと思えば出来るが、術後のことなどを考えると積極的には勧められません。ただ、内臓の癒着は問題にはならないでしょう」と。

この日もらい忘れた血液検査の結果を2日後に受け取ったところ、7月に19であった腫瘍マーカーCA19–9が40に上昇していたので、覚悟を決め手術をお願いしました。手術が混み合っているので12月になるとのことでしたが、10月最終週に病院から電話を頂き、手術室が空いたので急遽11月2日に手術が決定しました。

こちらの大学病院は患者一人に対する診察時間が6分程度に設定されており、主治医が沢山の患者を診察し、検査オーダー等雑用は別の人間が行う分業体制で病院が回っていました。

3回目の手術

2015年10月31日(土)に入院。その日「癒着がどうなっているか開けてみないと分からないが2カ所を取りに行った場合手術時間は6~8時間、前後を入れると10時間になる、但し全く処置しないこともある」との説明を受けました。11月1日(日)全粥の朝食を取りましたが昼と夜は食止め、点滴で栄養の補給、午後から腸の癒着で腸を傷つける恐れがあるため大腸内視鏡検査と同じ2Lの下剤を飲まされ、就寝前に浣腸しました。2日(月)朝、浣腸、9時に病室を出て前2回と同様歩いて手術室待合所へ、そこで麻酔科の女医さんから麻酔について説明を受け硬膜外麻酔実施確認、家族と別れ手術台に乗り麻酔科の3、4人が準備処置後、硬膜外麻酔のための麻酔を行い脊椎に針を刺しました。笑気ガスを吸い込み全く痛みを感じず凄い技術を持った麻酔科チームだと思いつつ眠りにつきました。

手術が終わり起こされた時に手術時間を尋ねたら4時間ちょっと「取り切れなかったかな?癒着が無くて取れたか?」、術後管理室(個室)に移り、執刀医から「左横隔膜下の播種を取るのが精一杯で、中の方はコンクリートのような癒着で術後のことを考えると踏み切れなかった」と。その日は全くの痛みは感じず過ごせました。この病院では麻酔科の人が夜8時迄残って術後の対応にあたるようになって、患者の術後が凄く良くなったと看護師さんがおっしゃっていました。術後管理室での第一夜は2時間ごとに床ずれ防止のため身体を動かすため起こされましたが、ゆっくり休むことが出来ました。この時点の身体への装着物は、背中の硬膜外麻酔の針等8本でした。

3日(火)に第二ICU、4日一般病棟に移動、この日の昼から食事が始まりました。午後、麻酔科の女医さんがわざわざ病室にヒアリングに来られ、麻酔の効き具合や改善点を把握して今後に生かそうとする強い決意を感じました。第二ICUから移動後の数日間は、看護師・医者がいつもいて夜中も結構明るい部屋に留め置かれました。患者を診るためには都合が良いが、患者はうるさくて夜全く寝ることが出来ない。患者のことを考えているシステムとは思えませんでした。5日身体に刺さっている管は3本になり、私の本当の誕生日10日(火)退院、今回は11泊12日の入院でしたが、やはり傷の痛みで長く歩くことが出来ず、タクシーや電車、バスを乗り継いで帰宅しました。

今回入院した大学病院の病棟は新築されたばかりで美しく設備も整っていました。差額料金なしの4人部屋には洋式便器のトイレがついていて、最初に入った時「これは良い」と感じたのですが、実際には誰かが入っていると使えませんし、自分が入っている時は他の人が気になりゆっくり用を足せないのです。共用のトイレがそのフロアにあれば良いのですが、4人部屋のトイレが使えない時は、エレベータに乗り外来患者のフロアまで移動して共用トイレに入らなければなりません。そして共用トイレにはペーパータオルが無いのです。それでも入院中は散歩も兼ねて共用のトイレに出向いたものです。共用の男子トイレには小便器がある、これが最高です。

免疫治療(樹状細胞療法)

自己がん細胞による免疫治療を行うため、今回の手術で切除した組織の半分を大学病院から譲り受け、抽出する会社に持ち込みました。「手術で切除した組織は病院のものだ」と言って絶対に出さないがん拠点病院もあるのですが、私の掛かっている大学病院はどちらも患者第一が徹底され快く対応して頂けます。

頂いた組織は2・5㎝×1㎝程度で通常ですと12回くらい治療ができる量が得られるのですが、1回分しか抽出できず自己がん細胞による免疫治療を諦め、オンコアンチゲンによる樹状細胞療法に切り替えました。これは20数種類のペプチドと、がん組織を薄くスライスしてプレパラートにした試料との反応を事前に調べ、成分採血した白血球の単球に3~4種類のペプチドを乗せて免疫治療を行うものです(写真1)。

写真1 免疫組織科学判定

写真1 免疫組織科学判定

免疫組織化学判定で反応があった3種類(MUC1,Survivin, MAGE-3)のペプチドを単球に組み込み、2016年2月から2017年3月まで12回実施しました。この治療は成分採血を行うのに4時間程度拘束されますが、その後はクリニックに出向き問診と注射だけで、治療後の副作用は接種部分の皮膚が赤くなる、注射した箇所がしこりになる程度で身体に優しい治療です(写真2・写真3)。

写真2 免疫成分採血装置

写真2 免疫成分採血装置

写真3 成分採血

写真3 成分採血

免疫治療効果判定では、ツベルクリン反応のような皮膚が赤くなることで行いますが、私の場合免疫反応は強く出ていました(写真4)。

写真4 免疫反応

写真4 免疫反応

欠点はやはりお金が掛かることです。免疫治療としては、樹状細胞療法を12回行い、その後2017年から18年にかけてαβT細胞療法をリンパ球の状態を見ながら5回行いました。

本庶佑先生が2018年に「免疫チェックポイント阻害剤」でノーベル賞を受賞してからは、がんの3大治療法の手術・放射線・抗がん剤に続く第4の治療法として脚光を浴びています。

多くのクリニックが免疫治療を行っています。どのようにして信頼のおける医療機関を選択するのかですが、治療責任者が替わる、医師の経歴紹介がないクリニック、「私の言うことを聞いていれば治ります」とか「私の言うこと以外の治療は行わないこと」と言うところは止めたほうが良いでしょう。

信頼のおけるクリニックでは、勤務している医師の経歴と出勤日がHPに記載されていて医師が変わることは殆どありません。

また、免疫治療だけではがんを根治することは出来ないので抗がん剤や放射線と組み合わせて治療します。それと、非常に絶望的なお話しをしますが、血液検査のデータや全身状態を観察して、改善が見込めないときは治療を行いません。

スーパーJチャンネル

2016年2月のとある金曜日17時台のテレビ朝日『スーパーJチャンネル』に膵臓がん患者として出演しました。10年以上膵臓がん患者をやっていると雑誌や週刊誌の取材、闘病記の執筆も依頼されるのですが、後にも先にもテレビ出演はこの1回限りです。

2015年2月に歌舞伎俳優の板東三津五郎さん、2016年に『やじうまテレビ!』等に出演されていたジャーナリストの武田圭吾さんが亡くなったのですが、医療機器の進歩で早期発見が可能となり、また当時承認された2つの薬剤により希望の光が差してきました。そこで、

『いま〝最恐のがん〟に変化が!? 壮絶……すい臓がんとの闘い』

と題し全国ネットで20分ほど放送されました。番組制作ディレクターが我が家に数回取材に来られ番組を作っていきました。

取材は、最低カメラマンとディレクター他アシスタントが来られると思っていたのですが、ディレクターがプロ用のビデオカメラを自ら持参し、我々家族と会話をしながら構成を考えていく。撮影場所は庭、自宅屋内、近所の公園、公道など、場面は庭での植物剪定作業、キッチンでの作業風景、家族団らんの夕食、術後体力回復の為の散歩、3回の手術跡撮影など8時間以上におよび、10分程度に編集されました。

流石に全国ネットでナレーションと番組編集は素晴らしいです。またこの時は、アブラキサン投与前のため髪の毛は沢山で62歳肌も若々しい(笑)(写真5・写真6)。私と一緒に出演された吉田智子(仮名)さんは2012年に膵臓がんがステージⅣで見つかり、膵臓がんブログで情報を発信されており、手術が出来なくて抗がん剤で元気に暮らしておられます。

写真5 スーパーJチャンネルに出演

写真5 スーパーJチャンネルに出演

写真6 仮名での出演でした

写真6 仮名での出演でした

もう一つの闘い

2015年11月、3回目の手術日の朝、妻と次女と長男、同居していた私の母が病室に到着しました。当日起床してきた母の顔付きがいつもと異なることに妻が気づいて、病院に一緒に来たものの私の手術中に母が「帰る」と言い出したので、念の為に1時間30分掛かる家まで送り届け、また病院に戻ってきたそうです。

以前の母はランの栽培が趣味で部屋に大きな温室を置いて花を咲かせて、それが生きがいになっていました。土や肥料をホームセンターに一人でバスに乗って買い出しに行き重い荷物を持ち帰っていましたが、2016年の春頃から買い物に行くことがめっきり減りました。そんな中、久々に買い物に出かけたスーパーで倒れ救急車で搬送され、その時の診断では脱水症状があるものの他に異常は認められませんでした。同年6月には横浜ダイヤモンド地下街で具合が悪くなったと帰宅、7月には「お腹が痛い」というのでホームドクターを受診。帰宅後母に「医者には何で行ったの」と聞かれました。この日ホームドクターに、お年もお年だからと認定申請を勧められました。

8月14日にお墓参りの準備をしていた母がバーンいう音と共に床に倒れ、呼びかけにも全く反応しないので救急車を呼び救急病院でCT検査を行ったところ「頭に水が有り」との診断。後日同病院で脳外科を受診、問題ないとの事でした。

丁度この頃私の腫瘍マーカーCA19–9が上昇し始め、抗がん剤治療をはじめる必要が出てきました。

2016年10月に認知症診断外来受診後「要介護1」の認定を受け、私の治療日にはデイサービスを利用して貰うことにしました。この時89歳の母は、自分から動くことは皆無でリビングのソファから庭を眺めるか、自室で寝ていることが多くなりました。母は夜中に起き出し廊下で転んだり自室で起き上がれなくなったりと、一時も母から目を離すことも出来なくなり、私の治療も重なり限界に近付いていました。

母は、70代に大腸がんの手術でストマーを使っていましたが、ある朝「病院で急にこんなもの付けられた」と言い出したのです。何度説明しても理解出来ませんし記憶にも残りません。でもまた、母は同じ話を何度も繰り返します。認知症はそんなものだと判っているのですが、介護者が被介護者を殺める、理解出来なくもありません。介護する者にしたら地獄です。

行政のサポートが有るので何とか乗り切ることが出来ました。デイサービスにはじまり、老健のショートステイを2017年から月に7日から10日程度利用し施設に泊まって貰いました。自宅に帰っている時は、介護の仕事をしている妻が入浴やストマーの世話をしてくれました。

2016年10月:要介護1、2017年1月:要介護2、2018年1月:要介護4の認定を受け、家から車で10分程度雰囲気も家族的で気に入っていたグループホームに空きが出たので2018年2月に入居、2週間に1度帰宅する生活を送っていました。

6月9日迎えに行ったところ調子が悪く母も珍しく「動きたくない」と言うので、職員の方が医師の往診を手配してくれ点滴を打っている間、部屋で共に過ごしました。

ところが翌日の夜、血中酸素濃度が80%台になり意識レベルが下がったため、病院に救急搬送され入院、入院時には意識は有ったのですが翌日から意識はなくなり点滴と酸素マスクで1週間過ごした後、6月17日夕方、我々夫婦と孫3人に看取られ母は旅立ちました。

(つづく)

高村 僚(たかむら・りょう)
1953年横浜市生まれ。武蔵工業大学(現:東京都市大学)工学部電気工学科卒業。電力設備設計会社に入社し、変電所の設計、送電線の調査設計に従事。その後、IT業務を社内で推進した。56歳で膵臓がんに罹患し、5年後の2014年61歳で職を辞し、患者会のボランティアなどを行った。2016年より「すい臓がんカフェ」を主宰し、主にすい臓がん患者に懇談の場を提供している。また、「ハマリョウ」の名でブログ発信も精力的に行っている。

高村 僚(たかむら・りょう)
1953年横浜市生まれ。武蔵工業大学(現:東京都市大学)工学部電気工学科卒業。電力設備設計会社に入社し、変電所の設計、送電線の調査設計に従事。その後、IT業務を社内で推進した。56歳で膵臓がんに罹患し、5年後の2014年61歳で職を辞し、患者会のボランティアなどを行った。2016年より「すい臓がんカフェ」を主宰し、主にすい臓がん患者に懇談の場を提供している。また、「ハマリョウ」の名でブログ発信も精力的に行っている。

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