私のがん体験(膵臓がん)
膵臓がん初回手術から10年、慌てず騒がず②
再発告知
2012年2月27日は、2年間続けていた抗がん剤を止められるかも知れないという節目の診察日でしたので、妻と一緒に病院に向かいました。しかし、1週間前に撮った造影CT画像検査報告書には「14×13㎜の軟部濃度域が見られる。増強効果はやや不均一。鑑別困難だが、再発巣の可能性も否定はできない。」と書かれていました。これを読んで、当時の主治医A先生がいとも簡単に「再発かも知れないね」とおっしゃり、加えて先生ご自身が4月に別の病院に転出されると伺い二重のショックを受けました。本来A先生の大学教授退官にはもう1年あるのですが、事情があって移られるそうです。主治医は我々の血の気を失った顔を見て、「皆さん、がんにかかった時より再発した時の方がショックを受けるんだよね」と申し訳なさそうに話されたことを思い出します。再発かも知れないと指摘された場所は以前から、5㎜程度の影があり手術痕と見られていたのです。
急遽、PET–CTを2月29日に行い、3月2日夜にA先生から「あやしいことは怪しい」との電話を頂き、次の診察日3月5日には、26日に入院再手術を勧められました。数日後A先生から電話で「画像をよくよくチェックしたら肝臓に影があり、これが転移だとすると手術は出来ない」と、手術はキャンセルされ再発のショックから立ち直ったところを再び打ちのめされました。
繰り返しになりますが、造影CT(2月17日実施)では、「左横隔膜下には前回CTよりもやや増大する14㎜×13㎜の軟部濃度域が認められる。細かい動脈が連続している様にも見え、増大効果はやや不均一。鑑別困難だが、再発巣の可能性も否定できない」。
PET–CT(2月29日実施)検査報告書では、「左横隔膜下の軟部濃度へのFDG集積はごく軽度ですが、CT上増大傾向なので再発の可能性は残ります(膵がんは元々集積が乏しいことも多く、この部位では呼吸性変動による集積過小評価の可能性もあります)。造影CTでの慎重なフォローアップ継続をご検討下さい。その他、PET/CT上は再発や転移を認めません。」とありましたが、A先生は見事に再発を見極めたのです。経験の少ない医師ならこの検査報告書を読んだらもう少し様子を見ていたと思います。膵臓がんは病院と医者の選択が大切だとこの時も感じました。
抗がん剤TS ‒1の副作用
3月5日からがんがゲムシタビンに耐性を持ったという事で、当時膵臓がんに承認されていたもう一つの抗がん剤S–1(商品名TS–1)の服用が始まりました。この薬は錠剤で4週間朝晩服用、次の2週間休薬の6週間で1クールとなります。
TS–1服用開始後2週目から消化器系の副作用が発生し、3週目から下痢が始まり、4週後半には食後10分で下痢(水便)、服用終了後15日以上その状態が続きました。重度の下痢、味覚障害、色素沈着、倦怠感など、ありとあらゆる副作用を経験しました。飲む前の体重は52・5㎏でしたが47・5㎏まで減少し、3回緊急で病院に出向き点滴をして頂きました。何しろ下痢が酷く、食後10分で水便が出る状態で、汚い話ですが肛門がヒリヒリと痛みました。人によっては、殆ど副作用が無い人もおられますが、色素沈着はかなりの確率で起きるようです。
丁度、A先生が転出されるので肝胆膵外科もゴタゴタしていたのと、私自身下痢を甘く見ていました。
TS–1は、フルオロウラシルを土台として、より効果が高く、副作用の少ない薬をめざして開発された薬のはずです。従来のフルオロウラシル系の薬に比べて、 下痢や腸炎などの消化器系の副作用が比較的軽い反面、 骨髄抑制が強くあらわれがちなのですが、膵臓がんだけは、重い消化器障害が出ることも少なくないそうです。
再手術への道のり
4月17日、大学病院で血液検査と造影MRI撮影を行いました。終了後、両親がお世話になった消化器外科S先生の診察を受け、知り合いの膵臓の先生に相談して頂けることになりました。4月25日に現在の主治医T先生の診察で、「MRIの画像の結果肝臓は嚢胞で、がんではないと思われる」とのことで手術を勧められました。実は、このT先生は2010年2月初回手術の執刀医でもあります。5月1日に再びS先生の診察があり、S先生ご本人も、また知り合いの膵臓の先生も手術を勧めています、とお話しがありました。
膵臓がんの再手術は滅多に行われませんが、残った膵臓の再発、肺転移については再手術も行われています。ただし、再手術を行う病院は多くはないので、再発された患者さんは手術を行っている病院にセカンドオピニオンを依頼し挑戦して下さい。その時に注意することは、病院より医師個体で手術適用が決まることが多いと思います。日頃からそのような医師を調べておくことが良いと思います。
5月8日、病院から「5月16日(水)入院、5月18日(金)手術」との電話連絡がありました。
再入院、そして手術
2012年5月16日(水)に入院。初日に心電図、呼吸機能検査(スパイログラム)、レントゲン撮影と盛りだくさんの検査がありました。スパイログラムは、手術前肺の状態を把握するために行われるもので、息を吸ったり吐いたりする検査で結構辛いものです。
5月17日に麻酔の説明があり、今回も硬膜外麻酔も行うとのことでしたが、手術当日は麻酔医と医師の連絡ミスか、実際は行われなかったので術後の痛みは実に激しいものでした。この病院の皆さんは誠心誠意治療にあたって下さるので責めるつもりはありませんが、これについては何度聞いても執刀医は口ごもるだけでした。手術の説明では、「手術時間3時間程度、入ってから出るまで4~5時間、術後2日程度準集中治療室(HICU:病院によってはHCUとも言う)にいてその後一般病棟に移る。腹膜播種、リンパ節転移が考えられ、開けた時点で他にがんがあればそのまま閉じる」等と伝えられました。消灯時間に下剤と睡眠導入剤を服用し眠りにつきましたが、夜中に3回トイレに行きベッドから落ちて手を擦りむきました。トイレへ行く時は看護師さんを呼ぶようにと事前に告げられていましたので、翌日看護師さんから怒られました。皆さん、看護師さんの言いつけは守らないといけませんね。
5月18日の手術日、今回も午後からの手術で、午前中病室でラクテック注(体内に必要な水分ミネラルを補給したり、血液が酸性に傾いた状態を是正したりするための点滴)を実施し、13:00に手術室へ歩いて行きました。17:30に麻酔から覚め家族と面会したのですが、痛い痛いと夢うつつでした。がんは画像で確認出来た1カ所のみで切除出来たことを聞き安心しました。
今回の手術では、硬膜外麻酔を忘れられたので結構痛みに悩まされましたが、熱が出なかったので回復は思ったより早く、術後2日で尿管が取れて身体に繋がった管は残り1本になりました。
5月22日一般病棟へ、前回は個室でしたが今回は4人部屋を選択しました。
5月23日胸のテープをはがしたところ、縦に切開した上部に段差があり多少体液が出ていました。お腹の切り口は前回と同じ縦に切ったのですが、腸の癒着があり左側肋骨の下を10㎝程度横にも切開するしか方法がなかった、と術後説明を受けました。
5月24日退院、今回は8日間入院、手術後6日目に退院しましたが前回と比べ格段に楽でした。
金環日食
入院中の5月21日、看護師さんと一緒に金環日食を病院の屋上テラス庭園で見ましたが、残念ながら曇っていて観測できませんでした。
この日、日本列島の多くの場所で金環日食や部分日食が観測可能でした。多数の自治体・報道機関がよそ見などで事故をおこしたり、目を痛めたりすることのないよう注意を呼びかけたほか、登校時間をずらす小学校もあったようです。 当日は日本の広い範囲で曇りとなるとの天気予報が出ていましたが、一部の地域では雲の合間から金環日食が観測出来たそうです。
この金環日食に伴い、日本では太陽観測用グラス(日食グラス)が爆発的に売れたそうです。何しろ日本全国お祭り騒ぎで、私も日食グラス3個をネットで購入しましたが残念ながら使う事はありませんでした。皆既日食と違い、金環日食では強い光を放つ太陽の光球がじかに見えるため裸眼での観測はもちろん、煤でいぶしたガラスやサングラス等でも目に危険で、この金環日食を観察した人の中には目に異常を訴えるものも現れ、多くの人が眼科を受診したそうです。
次に日本で見られる金環日食は、2030年6月1日になるそうです。
北海道旅行
2012年7月には札幌で行われた「難治性がん啓発キャンペーンin札幌2012」に妻と参加し、セミナーの合間に北海道大学構内や北海道庁、札幌大通公園、札幌円山動物園等を訪れ、澄み切った青空を見上げながら生きている喜びをかみしめました。
2012年7月、札幌で行われた「難治性がん啓発キャンペーン」に参加
この頃からはっきりと自分の死を自覚し、家族との思い出づくりのための旅行を頻繁に計画して行きました。
手始めに2012年9月下旬に社会人の長女を除いた我々夫婦と次女、長男4人で3日間北海道の大自然を堪能しました。レンタカーで旭川動物園や美瑛、羊ヶ丘公園、大倉山シャンツェ等を廻り、札幌ラーメンやジンギスカンを食べ、良き思い出を作れました。
2012年9月、北海道の大倉山シャンツェにて
屋久島旅行
2013年9月26日~30日まで妻と二人で、かねてから訪れたかった鹿児島の屋久島に行きました。羽田から鹿児島空港に飛び、屋久島へは飛行機で行く方法と高速船で行く方法があるのですが、コストダウンのため高速船を選択。ホテルは屋久島JRホテルが一番人気でしたが満室だったので仕方なく「屋久島いわさきホテル」を選びました。正面玄関を入ると、6階吹き抜け空間に聳える高さ約13mの屋久杉オブジェが出迎えてくれ、本物と見間違えるほどの迫力に圧倒されました。しかもホテル内は隅々まで掃除がなされ清潔で、食事が美味しいのは勿論のこと、コース料理を出すタイミングが実に絶妙で、今では我が人生で最高のホテルに位置付けされています。
2013年9月、屋久島にて(ホテルの屋久杉オブジェ)
27日に「縄文杉ツアー」に参加し片道11㎞、往復12時間を歩くことが出来ました。屋久島に行く最大の目的は、樹齢3000年~7200年とも言われる「縄文杉」に会いに行くことでした。
11㎞歩いて会えることのできた「縄文杉」
ホテルを午前4時に出てトロッコの道をひたすら歩き、ウィルソン株、大王杉、夫婦杉、縄文杉と、太古からの原生林のパワーを感じながら歩き、霧雨の中神秘的な姿を見せる「縄文杉」に会うことが出来、素晴らしい思い出になりました。
大王杉の前で
28日は10時間程度の「白谷雲水峡ツアー」で1997年公開のジブリ映画『もののけ姫』の舞台のモデルとなった白谷雲水峡や弥生杉をゆっくり探索できました。
高村 僚(たかむら・りょう)
1953年横浜市生まれ。武蔵工業大学(現:東京都市大学)工学部電気工学科卒業。電力設備設計会社に入社し、変電所の設計、送電線の調査設計に従事。その後、IT業務を社内で推進した。56歳で膵臓がんに罹患し、5年後の2014年61歳で職を辞し、患者会のボランティアなどを行った。2016年より「すい臓がんカフェ」を主宰し、主にすい臓がん患者に懇談の場を提供している。また、「ハマリョウ」の名でブログ発信も精力的に行っている。