私のがん体験(膵臓がん)
膵臓がん初回手術から10年、慌てず騒がず 最終回
第3回抗がん剤治療
2016年8月に免疫クリニックで行ったCA19–9が100を超えたため、大学病院の主治医T先生が勧めておられた抗がん剤治療を決意しました。樹状細胞療法をはじめた時、免疫クリニックのK先生は「免疫療法だけではがんを押さえることは無理で、将来的に抗がん剤治療が必要になるでしょう」と仰っていました。これまでのゲムシタビンとTS–1を入院せず実施しましたが、アブラキサン+ゲムシタビンは1回目と2回目は入院して様子を見ながら実施しました。主治医のT先生は、「繊維間質の膵臓がんには効くと思う」と仰っていました。重篤な副作用が認められないので、2016年8月31日から2回目実施の7日点滴終了後退院したので入院は9日間でした。
この期間に感じた副作用は、太ももが上げづらく注意をしていないと足が引っかかって転びそうになること、突然はじまるシャックリです。抗がん剤投与3日目に倦怠感が発生しましたが、食欲はあり気分が悪くなることもありませんでした。TS–1と違い食欲不振や味覚障害、下痢などの消化器系副作用が無かったことは幸いでした。アブラキサンの副作用ではほぼ100%発生するのが脱毛とシビレです。脱毛が初回投与10日後からはじまり、毛根がない状態で髪の毛が切れるようにあっという間になくなり、全身の毛もなくなりました。眉毛がなくなると人相が悪くなるので外出時は眉を描いています。
3回目の9月14日血液検査結果が白血球3000、好中球567と極端に低かったので100%を継続か減量かを主治医も迷っておられましたが、他の数値が良かったので感染症対策を徹底することでこれまで通り実施しました。
感染症対策の具体策は、
⒈ 手洗い、うがいの徹底
⒉ 外出時はマスクの着用
⒊ 生物を控える
を必ず行い、38℃以上の発熱、継続する下痢の時は必ず電話若しくは診察を受けること、土日でも救急で来ることを言われました。
多くの抗がん剤の場合血液検査での接種可否は、好中球数、血小板の数値によることが多いのです。白血球は主に好中球・リンパ球・単球・好酸球で構成されていますが、好中球が感染症を抑えるのに重要なので抗がん剤投与時の判断数値になるのです。一方リンパ球はがん細胞を抑制するNK細胞、T細胞、B細胞、樹状細胞、マクロファージ等の免疫細胞で構成されているので、がん患者は基本的にリンパ球数が多い方が良いようです。
副作用のシビレは、その発生時期や程度は人それぞれですが、私の場合シビレが3クール3回目以降で、足の裏にやけどが治りかけのジンジンしたシビレに始まり、手の指にシビレと痛みに加えて爪に内出血がおこりました。シビレ対策に神経疼痛薬のリリカ、漢方の牛車神鬼丸、抗がん剤投与時の手足の冷却、弾性ソックス、手のゴム手袋による血流抑制を4クール目以降継続しています。このシビレのために大好きだったテニスを止め、筋力アップのためスポーツジムに通いはじめました。筋肉量が多いがん患者は少ない患者より生存期間が長いと言う科学的エビデンスがあります。
初回から5クール終了まで変わらない副作用は、点滴投与から徐々に倦怠感が酷くなり3日後には寝ている時間が多くなる事です。2017年2月6クール1回目の夜から抗がん剤投与日に眠れなくなる副作用が急に発生しました。その後、手足のシビレが強くなり爪の内出血が酷くなったこと、腫瘍マーカーCA19–9が基準値以下になったので、7クール目から1週目アブラキサン+ゲムシタビン、2週目ゲムシタビン単剤、3週目アブラキサン+ゲムシタビン、4週目休薬を皮切りに、10クール目から2週目はゲムシタビン単剤、18クールから2週目のゲムシタビン中止、22クールから1・3週目アブラキサン60%+ゲムシタビン100%、36クール目より1・3週目アブラキサン50%+ゲムシタビン100%と減薬しました。しかし2020年4月に左腎臓に、がんによる尿道圧迫が原因と思われる水腎が発生、CA19–9が上限値37・0を超過していましたので、2020年5月46クールからアブラキサンを65%に増量しました。一時マーカーの改善もありましたが画像でのがんの憎悪が見られましたので、今回の抗がん剤を終了しました。
大学病院orがんセンター
がんになった時、皆さんが病院選びで悩むことがあると思います。私は2009年末から今日まで、ほぼ全ての治療を今の大学病院で行っています。本当に良き大学病院並びに医師達に巡り会えたと感じています。がんになり治療期間が長くなると当初の治療対象がん以外の他の病気もおきます。そんな時がんセンターでは対応出来ないので、がん以外の病気については他の病院に行かざるを得ませんが、大学病院では対応可能です。
膵臓がんに罹患する以前から胃のポリープや胃炎で経過観察を行っていました。膵臓がん罹患後は食道外科で数年は半年に1回、今は2年に1回内視鏡での診察を受けています。また、前立腺がんの腫瘍マーカーPSAが上昇しているので泌尿器科で6カ月に1回診察を受けています。
病気ではないのですが2016年6月、庭で作業中にとげが刺さり左手親指に水疱が出来て深く皮膚に食い込んでしまったので、近所の皮膚科に行きましたが「ここでの手術はしていない」と言う事で、今の大学病院に紹介状を書いていただき、液体窒素で冷凍治療を2回実施し綺麗に完治しました。目のかすみが顕著になった時も主治医のT先生にお願いし眼科を受診。抗がん剤の影響を心配したのですが、「白内障なので、以後の診察は最寄りの眼科で行って下さい」と、流石に大学病院なので白内障までは見てくれないようです(笑)。
昨年(2020年)夏には、事ある毎に痛みが発生していた奥歯の抜歯を行いました。近所のかかり付け歯科医からも、抗がん剤実施者の抜歯は予期せぬことが起きるので大学病院での抜歯を勧められました。事前に大学病院の医師がかかり付け歯科医に抜歯を大学病院で行う旨のレターを送ってくれたようです。
横断的治療が可能という点で大学病院は優れていると思います。がんセンターは治験が多く行われるので侮れません。どの医療機関を選択するのかは個人が判断するしかありません。
遺伝子パネル検査
従来から行われている治療法では、診断された病気が同じであれば同じ薬が投与されてきました。近年、病気の原因や病態について遺伝子や蛋白など分子レベルで解明が進むにつれ、同じがんと診断された患者の中でも、実際には遺伝子や蛋白などの分子の違いにより様々なタイプがあるがことがわかってきて、この異なる要因が治療の効果に大きく影響していることもわかってきたのです。さらに、ゲノム医療において次世代シークエンサーと言われる「がん遺伝子パネル検査」で治療法を選択する時代に突入しました。私は、3種類のがん遺伝子パネル検査を行いました。
1.2017年秋、GI-Screen Phase 2の組織による全国治験を神奈川がんセンターで実施。
2.2018年10月大学病院内臨床試験Foundation One。
3.2019年3月のリキッドバイオプシー全国治験(MONSTAR-SCREEN)を神奈川がんセンターで実施。
1と2はがん組織の検査で3は血液による検査です。1と3では遺伝子異常は全く見つかりませんでした。私の知り合いの膵臓がん患者さんは、やはり1、3では遺伝子異常は発見されませんでした。
1.2010年2月 膵体尾部並びに脾臓摘出
2.2012年5月 左横隔膜下再発箇所切除
3.2015年11月 左横隔膜下再再発箇所切除、もう1カ所は切除できず。
このように3回手術を行い、それぞれがん組織があります。
2017年秋のGI-Screenでは、2回目の手術組織を採用しました。
2018年Foundation Oneでは、米国に組織を送る前、事前に大学病院で顕微鏡による目視を行い、2回目、3回目の組織では遺伝子異常が発見できない可能性があるので、がん細胞の占める割合が大きい1回目の組織を送って調べました。 細胞内にがん組織が30%以上ないとシークエンサーでは検出出来ないそうです。この場合、がん細胞が再発すると性質が変わり遺伝子異常も変化すると言うリスクが当然ありますが、見つからないよりは見つかった方が良いとの判断でゲノム診断の医師が判断したようです。
その結果米国から送られてきた報告書は、20ページ以上で当然英語でした。
Foundation Oneの遺伝子検査では最初のページに4つの遺伝子異常が記載されていました。MS-StableとTMB-Lowが 免疫チェックポイント阻害剤が利用可能かの判断、KRASとTSC2の2つが該当遺伝子異常に薬が開発されているものを示しています(写真1)。この他にも現在治療薬は存在しませんが、遺伝子異常があったものが10個ありました。
写真1 Foundation One 結果
人との出会い
2016年横浜で行われた「第2回がん撲滅サミット」公開セカンドオピニオンに、小容量抗がん剤治療の銀座並木通りクリニック三好立先生、動注治療のIGTクリニック堀信一先生が参加されると聞き楽しみにしていたのですが、ある患者団体代表から「標準治療以外の医師がこの様な会に参加するのは如何なものか?」と言う横やりが入り、公開セカンドオピニオンが中止になりました。この決定に対し私は事務局に「我々膵臓がん患者にとっては標準治療以外が必要になるので大変失望しました」とのメールを送りました。それに対し、中見利男代表(写真2)から、
写真2 中見利男代表
「これまで私共は、がん撲滅という旗の下に様々なステージに立っている方々がいらっしゃることを重々承知しておりましたが、まずはがん撲滅の旗を立てて多くの方々に知恵を出していただき、前進させようと考えておりました。中略。第1回を「起」とするなら、第2回は「承」となり、承は承るという意味でもありますので、皆様の声を承り、第3回の「転」、すなわち前転、回転と前へ進めるステージにつなげていくための大会だと考えております」
との返信、その時「あーこんなものか」と愕然としたことを覚えています。ところが2018年第4回がん撲滅サミットに私が患者代表でお話しする機会を与えられたのです(写真3・4)。
写真3 第4回がん撲滅サミットでのご挨拶
写真4 中村祐輔先生と共に
「皆さまこんにちは。膵臓がん患者の高村僚と申します。まず、サミット提唱者の中見様、その他ご尽力いただいたすべての皆様、『第4回がん撲滅サミット』開催、誠におめでとうございます。私は2010年2月に膵臓がん手術を行い、その後2回再発し2回手術を行いましたが、2015年7月からがんとの共存が続いております。膵臓がん患者の90%が、標準治療を終了するという事実を踏まえ、がんや医療について勉強し、この8年間、標準治療をベースに代替医療を合わせこのように元気に生きております。がん医療はがん種別治療から遺伝子変異に合わせた治療へと、そして使える武器も抗がん剤はもとより、本庶先生がノーベル賞を受賞された免疫の薬や粒子線治療、現在治験中ではありますが光免疫治療、その他の数々の方法を組み合わせ、患者個人に合わせたプレシジョン医療が花開こうとしております。これは我々がん患者にとって大きな希望になっています。そして、ここにおられる先生方が実現してくださると信じております。
最後に、患者、ご家族が希望のあるがん治療が出来ることを祈念し、私のご挨拶とさせていただきます。有難うございました。」
この挨拶の実現には、2017年第3回がん撲滅サミットに光免疫治療の小林久隆先生が登壇されるのを知り参加申し込みを行い、画期的ながん治療の講演も素晴らしかったのですが、当日行われた「公開セカンドオピニオン」に感動しました。これは会場から質問を受け10数名おられる各分野の蒼々たる医師に対し、中見代表が適切な回答者を選択しお答えいただくものです。2時間以上に渡り質疑応答を取り仕切られ、その素晴らしき運営手法に大いなる感動を覚えました。2016年第2回では大変失望しましたが、2017年第3回は感動したことを事務局宛にメールしましたところ、数日後中見代表ご本人から返事をいただき、腹を割ったお付き合いがはじまったのです。2017年第4回開催までに何度も日本のがん医療について激論を重ね、お互いを旧知の友人のように理解し合うようになりました。これが第4回がん撲滅サミットで話す機会をいただいた背景です。
後書き
2010年2月に初回手術を行い11年1カ月、その間2度の再発再手術を行い、2015年7月からはがんとの共存で5年8カ月生き延びてこられたのは、主治医をはじめ沢山の医療関係者、友人、家族のおかげだと思っています。皆様に心より御礼申し上げます。
現在は2021年1月6日にアブラキサン+ゲムシタビンの抗がん剤治療を終了して、自由診療によってニボルマブ投与を4回実施しその効果を判断中です。最後のフォルフィリノックスかオニバイドを行うか。
上手く生き延びることが出来ましたら、再び投稿させていただきます。皆様、良い時間をお過ごし下さい。
「泣いて過ごしても笑って過ごしても平等に時は流れる」
(完)
高村 僚(たかむら・りょう)
1953年横浜市生まれ。武蔵工業大学(現:東京都市大学)工学部電気工学科卒業。電力設備設計会社に入社し、変電所の設計、送電線の調査設計に従事。その後、IT業務を社内で推進した。56歳で膵臓がんに罹患し、5年後の2014年61歳で職を辞し、患者会のボランティアなどを行った。2016年より「すい臓がんカフェ」を主宰し、主にすい臓がん患者に懇談の場を提供している。また、「ハマリョウ」の名でブログ発信も精力的に行っている。