(2014年.vol14)
がんのために38歳の若さで他界したプロウィンドサーファーであった飯島夏樹さんは、日本のプロウィンドサーファーとして唯一、8年連続でワールドカップに出場し、その後グアムに移住。ココス島にてマリンスポーツセンターを起業し、日本人観光客を対象としたマリンスポーツ業を行うかたわら、現地で中田英寿らスポーツ選手のコーディネイトも行った。
さらに、ウィンドサーフィン専門誌などにエッセイを連載、ネット連載など執筆活動もしていた。自身が惚れ込んで移住したグアムの空の下、奥さんと子供4人と一緒に、絵にかいたように幸せだった。
飯島さんの肝細胞がんが発見されたのは2002年、たまたま受けた検査でのことだった。それまで、誰から見ても順風満帆のように見える人生に、まさに青天の霹靂だったはずだ。手術の度に日本に帰り、その度に他の場所に再発場所が見つかるという辛い闘病生活を続けた。
日本で肝移植するためにグアムでの家などを全部売り、家族で日本に帰ってくるが、セカンドオピニオンで「肝移植には適さない」と言われてしまい、そのことがきっかけでうつ病とパニック障害を発症してしまう。グアムの海と空を愛していた飯島さんが、東京の空の下で家から外に出ることもできなくなってしまったのだ。
そのことはきっと、本人だけでなく周囲の人も信じられない気持ちだったに違いない。家族や周囲に支えられてうつ病とパニック障害を回復させていくかたわら、執筆活動も再開する。
2004年7月、自分が生かされているということを体感し綴ったという『天国で君に逢えたら』が刊行された。がんセンターの手紙屋Heavenでさまざまな患者のために手紙を代筆しながら、がんや死を見つめていく精神科医を取り巻く人々の物語だ。
飯島さん自身、がんセンターが大好きだったそうだ。本の中に、ある患者さんが総合病院に入院していた時に「がんじゃなくてよかった」と言っているのを聞いてしまい、ショックを受けるシーンがあるのだが、飯島さんの本心が現れているような気がした。
きっと、そう言うと消極的な考え方に聞こえる人もいるだろうが、がんセンターでは患者同士はみな同じ苦しみを抱えており、宣告を受けている以上、患者と医者の間にも嘘はない。死を目の前にして、恐怖に負けそうになる気持ちを周囲の人と分かち合い、励まし合いながら、嘘のないところで自分を見つめなおす。飯島さんの本の中のがんセンターはそういうところなのだ。
精神科医がカウンセリングルームに「手紙屋」と名付けていることからもわかるが、飯島さんは闘病生活の中で、「作文療法」だと言いながら執筆に生きがいを感じていた。物語の中でも自分の気持ちを言葉にする大切さや文字の力、書くということの意義を感じさせる。
そして、何よりも愛する人を残していかなければならない気持ち、愛する人を失う気持ち、家族を愛する気持ちがユーモアかつ率直に描かれていて、読み終わった後には涙を流しながら爽快感すら感じるのだ。
飯島さんは、2004年に余命半年の宣告を受けた。その後、愛したグアムに戻り、家族に看取られながら、2005年2月に亡くなられた。最期の時まで執筆活動を続け、現在『天国で君に逢えたら』(新潮社:2004年)、『ガンに生かされて』(同:2005年)、『神様がくれた涙』(同:2005年)が刊行されており、2007年には、『Life 天国で君に逢えたら』として映画化され、2009年にはテレビドラマ化された。もし、読まれていない方、もしくは観ていない方には是非一読をお勧めしたい。