山田邦子のがんとのやさしい付き合い方(第10回 )
そこが知りたい
20万人の命の声〟と〝医療者〟を繋げる「がん患者生活支援活動」
自身が乳がんを経験。
VOL – NEXTを設立し、患者の命の声を聴く活動を
山田
曽我さんは33歳という若さで乳がんになられたのですね?
曽我
はい。当時は仕事が超多忙で、アナウンサー業とともにイベント業も行っており、オリジナルウエディングの仕事などをしていて徹夜作業が続いていました。ある朝、徹夜明けのシャワーで、胸にしこりを感じたのです。すぐには乳がんと診断されなかったのですが、最終的に病院で診断されました。
山田
皮肉なことに仕事が順調なときや何か重大な仕事を任されたときに病気になるものですね。治療はどのように?
曽我
乳房温存手術をしましたが、そのあと再手術したので、結局、2回手術しました。
曽我千春氏との対談は2019 年12 月20 日(金)、貸会議室において行われた
山田
私も2回手術しました。がんは転移再発が心配なので、「もう1回」などと言われるとぞっとしますね。その後の治療は?
曽我
あとは薬の治療です。20年前ですから治療方法も今とはまったく異なっていましたね。
山田
二昔前ということですからね。私の場合も12、3年前です。当時は最先端の治療をしたと思っていましたが、今ではもう古い。曽我さんは、ご自身の治療をしながら人生がどんどん変化していったのですね?
東京都生まれ、タレント。「がん検診率向上のため、日々頑張っています」
曽我
まず応援してくれる人がいなくなりました。親の会社に問題が生じ、さらに当時の夫と離婚することに……。ウエディングの仕事は整理し、アナウンサーの仕事はそのまま続けましたが、家に帰ると一人でした。1年半くらいカーテンを閉じて自分と向き合う日々でした。一人ってこんなに辛いのだと思いました。
山田
そのような状況から、どのようにして立ち直ったのですか?
曽我
ドクターの言葉でした。二人目の主治医でしたが、先生に「神も仏も信じられない」と訴えたときに「きっと愛があるよ」とおっしゃった。そのとき、涙が止まらなくなりました。そして家に戻ってカーテンを開けました。隣の家の冬枯れの庭に赤い椿か山茶花が咲いているのを見ました。そして私も冬枯れの庭に咲けるようになろうと思いました。
TODAY! 関口(VOL–NEXT 事務所)
山田
そこで何か大きな荷物がおりたのですね。
曽我
鎧のようなものを外した感じですね。
山田
私も何かあるたびに先生に相談してきました。先生との相性は大切ですね。まずは腕のよい先生がベストですが、腕がよくても相性が合わなければ治るものも治らない気がします。
曽我
当初は一人だと思っていましたが、実は支えてくれている人がいることに気が付きました。留守番電話に「大丈夫? ご飯食べに行こうよ」とか「電気代払ってないんじゃないの? 代わりに払っておこうか?」などの多くのメッセージが入っていたのです。本当にありがたかった。そこで私と同じような思いをしている人がいたら、少しでも役に立ちたいと思ってネットを立ち上げたのです。
山田
私も乳がんになってからピンクリボンの会に出てみたところ、がんの支援団体が多くあることに気が付きました。そこで私にできることは何かと考えたところ、講演活動を行うようになりました。
曽我
私もインターネットで「何かできることはありませんか」と声をかけるようになり、乳がん患者をサポートする「VOL–Net」という患者会を創りました。Voice ofLife ということで、命の声を聴かせてもらうことが目的でした。問題を解決したり、一人一人のモチベーションを高めることを継続したりしてきました。やがて有限会社VOL –NEXT(ボル・ネクスト)になり、その後、株式会社になりました。
「VOL–Net を立ち上げたときに、『納得できる治療』『安心できる生活』『自分らしい生き方』の3つをテーマにしました」
医療用語を患者さんに通訳する活動が評価され、日本乳癌学会から表彰される
山田
VOL–Net設立から現在まで15年間に20万人の方のサポートをされているのですね。すごい数ですね。
曽我
立ち上げたときに、「納得できる治療」「安心できる生活」「自分らしい生き方」の3つをテーマにしました。これをサポートする会社にしたかったです。
山田
「納得できる治療」というのは?
曽我
私たちは医療従事者ではないので、お手伝いするだけになりますが、先生の言葉をわかりやすく説明しています。つまり医療の専門用語の通訳というような役割です。
2016 年に日本乳癌学会から「感謝状」を贈呈される
山田
確かに専門家の説明はよくわからないことがありますからね。
曽我さんは『患者のための乳がん診療ガイドライン』作成委員として活躍されましたね。
曽我
乳がんの場合は、乳がん患者の先輩たちが身体を張ってくださったおかげで、効果と安全が確認された治療がきちんとできるガイドラインがあります。それを医療者だけではなく患者さんにもお伝えしたいと日本乳癌学会のほうから提案がありました。そこで最初の立ち上げのときから有名な先生と膝を突き合わせてかかわることができました。
たとえば「臨床」という言葉。患者さんにはわからないので説明する表現を検討しました。今は「ドクターと患者さんが向き合える場所」と言われます。このように専門家が普通に使っている言葉を患者さんでもわかるように置き換えていく作業を10年間やらせていただきました。今は次の方にバトンタッチをさせていただきましたが、嬉しかったのは、10
年目にして初めてウィッグや下着の選び方が掲載されたことです。やっと生活の現場まできたかなと思いました。
山田
これまでの功績が認められて2016年に日本乳癌学会から表彰されていますね。
曽我
自分でもびっくりしました。医療者の言葉をすぐに理解できない私のような人にでもわかるようなやさしい言葉で表現することをやり続けていただけなのですけれど・・・・・・。
医療用ウィッグに外国の子供の人毛が利用されていることを知りショックを受けた
山田
次に「安心できる生活」というのは?
曽我
医療用ウィッグや下着などのツールを使い、「自分らしい生き方」をサポートすることです。その人がその人として前に進めるようにするには、どのようにサポートしたらよいか。これも10年かかりました。環境や金銭的なこと、人間関係もありますが、具体的には抗がん剤のことから始まり、どんなシャンプーを使ったらよいのか、どのように洗髪したらよいのか、どんなウィッグがよいのか・・・・・・。
特に脱毛についての心配は大きく、自分でも何十社もの医療用ウィッグを試して、そのメーカーの姿勢やコンセプトも見極めてきたのです。
山田
がんになって「命さえあればよい」というのは最初のことで、よくなると徐々に「自分らしさ」の表現にぶつかりますね。
「VOL–Net 設立から現在まで15 年間に20 万人の方をサポートされているのですね。すごい数ですね」
曽我
「アピアランスケア」という言葉が注目されていますが、どんなときも自分を表現するのが大切だと思います。
山田
実は、がんになっても自分らしさは何も失われていない。何も変わらないのに、たかが髪の毛、されど髪の毛で、見た目が変わるとどうしてよいかわからない。そのようなときにウィッグが助けになるのですね。
曽我
最初は何もわからず、調べていたのですが貧しい農村の子供たちの人毛が利用されていることを知ってショックを受けました。
山田
日本でもナースになるときに、卒業式に髪の毛をプレゼントするようですが、それだけでは足りない。外国から髪の毛を買うことになる。大人では足りなくなり、子供たちの髪の毛を買うということですね。
曽我
最初は中国やアジア圏の普通の子供の髪の毛でしたが、今は農村の子供たちの髪の毛が多くなりました。しかも彼らは教科書を買うために髪の毛を売るのです、このような売買を少なくしたいと思いました。そこで、できるだけ人毛に近い人工毛にしてリサイクルしていくことが大切だと考え、人に、地球にやさしいものをつくれないかと思ったのです。
山田
(ウィッグを触りながら)これって、見ても触っても人毛みたいですよね。
曽我
アデランス社のものですが、バイタルヘアといって人毛に近い人工毛を技術革新によってつくり出しています。
外出用と自宅用の2つのウィッグを使い分け、自分らしさを表現
曽我
2030年までに地球がなくならないように、「みんなが公平に、美しい地球に暮らす」ために国連が定めた17個の「持続可能な世界への開発目標(SDGs)」のうち9番、10番、12番を意識して開発してきました。ちなみに9番は「産業と技術革新の基盤をつくろう」。
10番は「人や国の不平等をなくす」、12番は「つくる責任、使う責任」で、持続可能な生産と消費の形態を志しています。また「真の医療用ウィッグ」に大切な4つの基準としてTEAMの文字で示しました。「T 」とはTraceability&Transparency で、素材と生産工程の情報がすべて公開されていること。「E 」はEco& Ethical で、地球環境に配慮し、公正な労働環境でつくられていること。「A 」はArtificial hair で、売買された人毛を使わず、技術革新により人毛に近い高質人工毛を使うこと。そして「M」は、Medical Qua-lity で、安全のためJIS規格適合とPL保険適用を条件にしています。
ウィッグをつくるための「チーム基準」
持続可能な世界へ向けたウィッグの開発目標。9番、10 番、12 番を意識して開発してきた
山田
このウィッグには2つのパターンがあるということですが、どのように違うのですか? 見た目は同じようですが。
曽我 オン(外出用)とオフ(自宅用)で使い分けられるのです。通常のがんは年を重ねると多く発症しますが、乳がんの場合は40代から60代の働き盛りの人に多く発症します。闘病生活をしながら働くわけですが、ウィッグがあれば脱毛しても仕事に行ける。家にいても夫や子供に普通の自分を表現できる。そこで仕事用と家庭用と2つのパターンをつくっています。仕事用は通気性の良い皮膚がついており、汗をかいてもよいように抗菌ネットがついています。家用は風通しもよく軽いものにしています。
ウィッグはすべて人工毛である
ウィッグはオン(外出用:右)とオフ(自宅用:左)に使い分けられる
山田
生産はどちらで?
曽我
タイのゴミひとつ落ちていない工場で、現地の女性たちが笑顔で丁寧に1本1本植えています。この人たちがこのように心を込めてつくってくれるならば絶対に安心と涙が出ました。取扱者は新時代のウィッグの特別研修を受けてディプロマ(*)を取得していることが条件づけられていますし、販売員さんにも研修を受けていただき、ウィッグの意味や患者さんの心理を勉強していただきます。
山田
すごいスケールの大きさを感じますね。いろいろと大変だと思いますが、これからやりたいことはありますか?
曽我
細胞をスマイルにする方法を考えたいですね。笑いがあるところに不幸は来ませんから。山田さんに「お笑い道場」をつくっていただきたいですね。
対談を終えたあと、記念撮影
山田
それは私の夢でもあります。お互いに夢に向かってがんばりましょう。本日はありがとうございました。
(*)ディプロマ:高等教育機関より発行される卒業証明書
山田 邦子●やまだ・くにこ●
1960年東京都生まれ。タレント。2007年、乳がんが見つかり、手術を受ける。2008年、〝がん撲滅〟を目指す芸能人チャリティ組織「スター混声合唱団」を結成し、団長に就任する。2008~2010年、厚生労働省「がんに関する普及啓発懇談会」の一員となる。2009年、NPO法人「リボン運動 がんの薬を普及する会」を結成し、代表理事に就任。栄養士の資格を持っている。